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日付:2018/12/14 00:56
オープンベータの頃からCSOを遊んでおり、サービス実装当時はTDM「トンネル」で遊ぶのが楽しかったことを記憶している。クレジットをかき集めてマグスナを買えば、多くがSCARやXM8で頑張っている中で無双出来た、そんな時代があったことを覚えている。良くも悪くも、最古参のうちの一人だ。そして良くも悪くも、多くの時間がCSOに費やされた。そんな私にとってCSOとは点であり、線でもあったという話が今回の投稿の内容だ。
【次に繋がらないただの惰性の娯楽=点 だった】
CSOの前はSTINGという今は亡きFPSを遊んでおり、いわばその娯楽の延長線上を探そうとしてCSOを始めたのがキッカケだった。悪く言えば惰性の娯楽だ。少し脱線するが、STINGもユーザーにマップを募集し始めた辺りから陰りが見え始めたので、ユーザーに寄り添うというのはサービス終了のレシピの第一材料なのかもしれない。まぁそういう分析はさておき、惰性で始まった娯楽はやはり惰性で続くようになり、私の青春期における汚点となった。課金額は20万ほどだった。バイトの収入でやりくりできる範囲内だったし、その分楽しめたので、損益分岐点的にはまぁ良しという落とし所が自分の中にはある。「お金はいつでも回収できる資産だが、時間は回収できない資産だ」ということが分かるようになってきた今、CSOの時間で何かもっと有益なことはできなかったのかという反省点は残る。
【今の自分に繋がる線でもあった】
CSOを4年ほど遊んでから、5年ほど日本を離れていた。その間、運良くCSOのおかげで一生の友達を得ることができた。彼はCSOが以前展開されていた国の出身だったため、CSOが共通の話題になり、いつしかCSG*を一緒に遊ぶような仲になっていた。ここからの過程は思いっきり省略するが、意気投合し現地で一緒に学校を運営する仲にもなっていた。今でこそ別々の学校を回しているが、提携関係にある。もしCSOを遊んでいなかったら、気心の知れた友達→ビジネスパートナーにはなっていなかっただろう。その意味合いでは、人と人を繋いでくれた線だったと思う。
今年の初めに日本に帰ってきてからまだCSOが存続しているのを知った時は正直嬉しかったので、時々今に至るまでプレイしていた。
CSOの宣伝文句は「原点にして到達点」だが、私にとっては「汚点にして美点」であり、CSOは何とも不思議な存在だった。
今日、CSOが最終到達点に向かおうとしているという知らせを聞き、私の中では何か1つの時代のドアが閉じたような感覚がした。とても不思議な感覚だったので、文字起こししてみたらまぁまぁの長さになった。
ここまで読んでくださった皆様も、今日まで続けてくれたCSOも、ありがとう。